
地域包括ケアシステムは机上の空論
今月、「介護職がいなくなる(岩波ブックレット)」というタイトルの新刊を出すことになりました。その中でも触れていることなのですが、ここではっきりと主張しておきたいことがあります。
他でもない、タイトルに書いた通りです。私は、将来、国の地域包括ケアシステムという構想は机上の空論になるだろうと考えています。
□扇の要は訪問介護なのに…
地域包括ケアシステムを構築する − 。この言葉の意味することはつまり、在宅介護の推進です。そして在宅介護の基本は、なんといっても訪問介護だと認識しています。
もちろん、住まいや予防、医療との連携などもとても大事な要素でしょう。ただ、地域包括ケアシステムの中核は訪問介護なんです。ホームヘルパーがいるからこそ、要介護の高齢者でも地域での生活を継続していけるんです。もちろん、掃除や洗濯、調理などの生活援助だって暮らしの維持には欠かせません。
なんだか当たり前のことを言っているようですが、その当たり前が何故か非常に軽視されています。ひどく滑稽だと感じているのは私だけではないでしょう。
訪問介護は累次の報酬改定でも特に冷遇され続けてきました。その結果、既に危機的な状況に陥っています。ヘルパーを担おうという人が十分にいません。極めて深刻な状況です。
東京商工リサーチは7月に公表した調査結果で、今年上半期の訪問介護の倒産が前年比で急増したと報告しました。私もフィールドワークで現場からヒアリングしますが、もはや新規の利用者を受け入れなくなっていたり、経営が成り立たなくなっていたりする事業所が非常に多いと実感しています。
しかも、ヘルパーは高齢化がかなり進んでいます。国のデータによると、2015年度の時点で60歳以上が全体の36.4%、65歳以上が20.4%。こうした方々はどんどん引退されていくので、このままいけば訪問介護は近くほぼ壊滅的な状況になると考えられます。
(引用元より一部抜粋)
地域包括ケアシステムの要、訪問介護
上記に引用した、淑徳大学の結城教授のコラム「地域包括ケアシステムは机上の空論」に賛同した。結城教授は、地域包括ケアシステムの要である訪問介護を冷遇してきた結果、訪問介護事業所の倒産や人手不足が進んでいる、このままいけば、いずれ壊滅的な状況になるとの考えだ。
近隣のスーパーの時給の方が高額なケースもある訪問介護の賃金を上げるか、公務員化するなど検討していく必要があるとも提言している。
地域包括ケアシステムは、おおむね30分圏内(中学校区)を単位として必要なサービスが受けられるような地域づくりを行っていくことを目指している。住み慣れた地域で最期のときまで自分らしい暮らしが送れるように、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供されるシステムだ。
国はこれまでに、住まいとして民間のサービス付き高齢者住宅や特定施設などを増やしながら特養の入所条件を要介護3へ引き上げ、医療では機能分化として早期退院になるような診療報酬の改定を行ってきた。
予防では住民主体の通いの場や元気な高齢者のボランティアを取り込みはじめ、生活支援を担う訪問介護には冷遇である。こうしてみると地域包括ケアシステムは、訪問介護だけに拘らず、国や自治体の負担を減らすことを優先する取組みが先行されているように感じる。
地域包括ケアシステムの構築が進まないと…
もちろん逼迫している社会保障費を抑えていかなければならないのだが、優先順位を誤ってしまったようだ。今年度になり、やっと介護職員の処遇改善にスポットが当てられたところである。
超高齢社会の2025年まであと6年。あれこれ次の対策を講じている間に、2025年が到来してしまう。それまでに地域包括ケアシステムが構築されなければ、経済的理由で民間の施設への入居が困難な者や、要介護3に満たない特養待ちの要介護者等の者。退院したばかりで状態の安定していない者などが、独居もしくは日中独居で生活する場面が増加する。
自宅で安心して暮らせる訪問介護や訪問看護の充実に加え、労働人口の減少で働く介護者が増加することを考えると、要介護3以上に拘らず入所できる特養が必要だ。また、状態が安定してからの退院に加え、退院後を引き受ける老健の薬剤費用の在り方や医療保険と介護保険の同日利用を可能にするなど、欲を言えばきりがない。
ただひとつ、住民主体の通いの場や元気な高齢者にボランティアとして介護助手を勧めるのはどうかと思うが、それ以外の健康寿命を延伸する取組みに関しては賛成である。元気であれば、介護保険も医療保険も利用する必要はない。介護人材不足や施設数の不足も解消する。
老若男女を問わず、国民一人ひとりが自分の健康管理を意識的に行っていくことが必須だ。